コットン古都夢は、岡山県内で唯一フェアトレード商品を取扱う店として1988年岡山市北区出石町にオープンした。
コーヒー、チョコレート、衣類、雑貨、石鹸等のオーガニック商品があり、またヘルシーランチも楽しめる。
2015年春にコットン古都夢が事務局を務める「岡山フェアトレードの会」が発足した。
岡山フェアトレードの会の活動は、出張講座やチラシ作り等のフェアトレードの周知、イベントの開催、出店、勉強会の
開催、ロゴ作り、フェアトレードのお店マップ作り、ブランド作り、企業や高校との連携ネットワークづくり、
Facebookの運営など多岐に渡る。1月に主催した親子で楽しめるイベント「カカオからチョコを作ってみよう!」
では一宮高校ユネスコ部のフェアトレードへの取り組みも発表され、活動に広がりが見られる。
世界では2000以上の都市が認定を受けているフェアトレードシティ。日本では現在、熊本市と名古屋市の2か所のみ。
岡山フェアトレードの会は、岡山市の行政、企業、商店、市民団体が一体となり、まちぐるみでフェアトレードシティに
なることを目指している。毎月第3木曜日に例会を開催し、興味ある方なら誰でも参加でき、関わり方は自分次第。
共に活動できる仲間を募集している。
フェアトレードは、1960年代にヨーロッパで始まり、教会やNGOが貧困問題解決のため、援助物資を送るのではなく
現地産品を買うこと「援助ではなく貿易を」を合言葉にスタート。日本では1980年代半ばからNGO等が取り組みを始め、90年頃から専門企業が生まれた。
不公平な貿易が行われていた頃、児童労働が問題となった。世界の大企業の価格競争が激しく、少しでも生産価格を
安くあげるために子ども達を働かせているのが現状で、教育を受けられなかったり、コーヒー豆やカカオ豆の摘み取り
作業、アジアでは綿花の摘み取り作業、メイドとしての家事労働などで搾取されたりする場合もあった。
また有害な農薬を素手で使うことで健康的な発達が妨げられたり、機械を使う作業で危険を伴ったりすることもあった。
農薬、殺虫剤、除草剤の使い過ぎによる土壌や水の汚染が環境破壊にも繋がった。
フェアトレードを通じて、それまで単一作物しか作っていなかった生産者たちが、輸出品だけでなく自分達の食べ物や
加工品も手掛け、地域の自然との共存共栄を目指し、地域を越えた生産者同士の交流で学ぶ機会を作っている。
フェアトレード商品は、アジア、アフリカ、中南米等40か国で生産され、欧米ではスーパーで身近に買えるバナナ、
コーヒー、紅茶等の食品が主流で、日本ではそれらに加え、チョコレート、衣類、アクセサリー、雑貨等もある。
最近の動向としては、ファストファッションに代表される超格安衣類の登場により、フェアトレード衣類の販売現場は
厳しくなっているが、2013年のフェアトレードの日本市場は前年比23%増の約90億円。因みに世界の市場は、前年比15%増の7115億円であった。フェアトレードの認知度が上がれば市場も拡大する傾向だ。
フェアトレードを知ることで、世界を知り、どうやって物と人が繋がっているのかを考え、行動するきっかけになる。
お買い物で国際協力ができる。あなたも今日から始めてみませんか?
内閣府が主催する青年国際交流事業をご存知だろうか。
1959年(昭和34年)の天皇皇后両陛下のご成婚を記念して始まった「青年海外派遣」事業である。
当時、日本の若い青年が自力で海外に行くことが非常に困難であった時代に、政府が実施主体となって
日本青年を海外に派遣するという、正に日本国中の青年に大きな夢と希望を与えた事業だった。
海外旅行や留学が身近になった現在の内閣府青年国際交流事業の目的は、「国際社会・地域社会で活躍する
次世代リーダーの育成」。国際的な視野を広げ、交流した各国の青年との国境を越えたつながりを持ち、
これを活用して社会貢献活動をしたいという意欲のある青年を求めている。
事業は6つある。「国際青年育成交流」「日本・中国青年親善交流」「日本・韓国青年親善交流」
「地域コアリーダー プログラム」の航空機事業と、「シップ・フォー・ワールド・ユース・リーダーズ
(旧 世界青年の船)」「東南アジア青年の船」の船事業である。平成28年度の募集期間は各都道府県により
異なるが、岡山県では2/8~3/31まで受付けている。日本国籍を有し、「地域コアリーダープログラム」
事業は各分野の活動経験を持つ23~40歳、その他の5事業は18~30歳なら応募可能だ。
交流する国への興味があることはもちろん、事業参加後のアンケートでは「異文化への対応力」「主体性・
積極性・チャレンジ精神」「国際的なネットワーク」「リーダーシップ」が得られたという声が多くあり、
これらを高めたい、広げたいという方におすすめだ。
各事業において、日本や諸外国の参加青年は、世界的視野に立った共通課題の意見交換、自国の文化の紹介などの
各種交流活動、産業・文化・教育施設の視察、ホームステイなどの活動を行い、友好、親善を深める。
また、各事業に参加した青年たちは、日本青年国際交流機構(IYEO)を組織し、海外で得た貴重な体験を
いかし、地域社会、職域などにおいて社会貢献および国際理解・協力等の促進のためのあらゆる活動を行っている。
岡山県にも岡山青年国際交流会(岡山IYEO)がある。
1982年(昭和57年)に設立され、内閣府青年国際交流事業OB・OGだけでなく、以前に岡山県が主催していた
海外派遣事業出身者や、国際交流に興味がある方なら誰でも参加できるボランティア団体だ。
近年は「東南アジア青年の船」のASEAN10か国の青年たちを約30名受入れ、県庁表敬訪問、地元の大学生との
ディスカッション、ホームステイ等の3泊4日のプログラムを実行委員で考え、地元の方々にご協力頂きながら、
もてなしている。今後の予定は、既参加青年の声が生で聞ける帰国報告会を2/8と14日に開催。
2016年度の事業受入れや、2017年度に岡山で開催される内閣府青年国際交流事業OB・OGが集う全国大会の
準備を進める。
「世界を見て 日本を考え 自分を知った」平成28年度の参加青年募集リーフレットの表紙に書かれてあるように
地球規模で考え、地域で行動し、リーダーシップを発揮する青年が増えれば未来は明るい。
岡山から1人でも多くの青年に参加してもらいたい。
岡山県下に12団あるガールスカウト。岡山市東区で活動する第11団にお邪魔した。今回のイベントは「クリスマスとお正月の飾りを作ろう!」金色のスプレーを吹きかけた松ぼっくりをクリスマスツリーに見立て、ビーズを飾りつけたり、自分達で田植えや稲刈りをした藁でお正月飾りを編んで作った。
「リーダー教えてください」先生ではなくリーダー。少女会員はスカウトと呼ばれる。大人になったらリーダーを目指すスカウトも多い。リーダーは講習を受け、単位や資格を得て、スカウト達を導く。5歳~100歳まで生涯、活動可能。ガールスカウト岡山県第11団は、平成4年7月に発団し23年目を迎えた。
ガールスカウトは、1910(明治43)年にイギリスで発祥。1907(明治40)年に始まったボーイスカウト活動の創始者、ロバート・ベーデン-ポウエル(以下B-P)が、ボーイスカウトに倣うのではなく、少女には少女に合ったやり方があり、運営は女性に任せるべきと考え、ガールスカウトを創設した。
後にガールスカウトを委ねられたB-Pの妻オレブは、女性は男性と同等のパートナーであること、自信をもち、積極的に社会参画することを尊重。少女たちの素質と才能を引き出し、社会に役立てるためのプログラムを作った。やがてガールスカウトは、イギリス国内にとどまらず、少女と女性に力をつけることの大切さを世界中に広め、共感した世界中の女性たちに支持され、国際組織へと変貌していった。
1920(大正9)年にイギリスから日本にも伝わり、全国各地へと広がった。第二次世界大戦中、一度活動を休止するが1947(昭和22)年、戦後の焼け野原において、日本の未来を担う少女達に力をつけること、明るい未来を見せることが重要であると考えた女性達により「誰の手を待つまでもなくわたしたちの手で」を合言葉に、ガールスカウト活動は再開。2年後には、東京に「ガール・スカウト日本連盟」(日本支部・事務局)が正式に誕生。今では146の国で1000万人の会員が活動し「自ら考え行動できる女性」を育てている。自己開発、人とのまじわり、自然とともに、の3つが活動理念だ。
「一番の思い出は、夏のキャンプ」と話す6年生のアコちゃんは父に勧められ入団。6年間活動し、何でも自分で出来るようになったという。3年生のクレハちゃんは、友達と見学に来た時に楽しかったので入団。クリスマス会のケーキや、ご飯作りが楽しかったと話した。入団のきっかけは、さまざま。この日の出席者は体験に来た人たちも含め全員小学生。部活動がある中学生以上は夜間に集会をするなどの工夫をしている。
安価で何でも買えるようになったが、藁を無駄にしない考え方、落ちている松ぼっくりを素敵に変身させる知恵、材料を渡され「自由に作ったらいいよ」「あっ思いついた」「リーダーこれどうやったらいいですか?」先生や保護者以外の大人や他学年との関わり、コミュニケーションしながら仕上げていく過程、作品を完成させる達成感、全員で行う片づけや清掃活動。少女や女性の可能性を最大限に伸ばし、責任ある世界市民になれるよう活動するガールスカウトは、創立105年を迎えた現在も、また今後ますます必要とされる活動なのではないだろうか。
ネグロス・キャンペーン岡山が「フェア・トレード商品を体験する・楽しむ〈カフェ&トーク〉」を10月17日(土)に主催し、40名の老若男女が参加した。
オルター・トレード・ジャパン社(ATJ)が扱っているフィリピン産バランゴンバナナや、インドネシア産エコシュリンプの試食、東ティモール産のコーヒーなどを試飲しながらフェア・トレードについて学んだ。
有竹事務局長により進行され、DVD「もっとフェア・トレード」を鑑賞した。予期せぬ価格変動や、仲買人の言い値で売るしかないアンフェアな取引では、生産者の生活が不安定で、児童労働に頼らざるを得ない場合もあり、品質を向上させることが難しかった。
そもそもフェア・トレードとは何か?
特定非営利活動法人フェアトレード・ラベル・ジャパン(FLJ)によると、フェア・トレードの定義とは、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」を いう。
1980年代前半に起こった砂糖の国際価格の暴落。砂糖の価格が上昇するまで、農園地主が砂糖キビの生産を中止したため、農園労働者の仕事がなくなり、食料が買えず、UNICEFの報告では15万人の子どもが飢えた。当時、日本国内には、フィリピンの人権問題や、日本の企業進出問題に関わる団体が「フィリピン問題連絡会議(JCPC)」というネットワークを作っており、この飢餓を救うための緊急キャンペーンを行うことがメンバー間で確認され、日本ネグロス・キャンペーン(JCNC)が発足、ネグロスへの緊急援助が始まった。ネグロス・キャンペーン岡山は1986年に設立され、29年目を迎えた。
日本ネグロス・キャンペーン委員会から生まれ変わった特定非営利活動法人APLA(Alternative People’s Linkage in Asia)事務局の大久保ふみさんによると、2008年には80億円だった日本のフェア・トレード市場は、2012年には150億円になった。多くの人が参加できる貢献で、生産者が市場を選べ、消費者にとっては生産者の顔が見える。横に繋がり社会のためになる経済活動が社会の在り方も変えるかもしれない。
最後に、参加者にとってのフェア・トレードの魅力をシェアした。安心・安全で信頼できるものを作ってくれている、持続可能な生産活動であり経済活動、みんなが幸せになれる、売買だけでなく人と交流ができる、フェア・トレード製品をプレゼントしたい、との声が上がる一方、男性参加者からは、高いイメージがある。買うものがないといった意見もあった。
日本で3番目のフェアトレードタウンを目指し、岡山市北区出石町のコットン古都夢で活動しているという「岡山フェア・トレードの会」の紹介もあった。
1月14日(土)17時から、岡山国際交流センター 6階 交流プラザにて韓国文化のミニ勉強会を開催。
日本人9名、韓国人6名の参加で、クリスマスや正月の行事の紹介や行事内容の日韓の比較をしました。
勉強会終了後、希望する人たちで、簡単な食事をして交流を深めました。