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 ネグロス・キャンペーン

 1984年、世界的な砂糖価格の暴落が起こりました。「フィリピンの砂糖つぼ」と呼ばれるほど特化されていたネグロス島の砂糖産業は崩壊の危機に瀕し、地主たちは砂糖農園労働者たちを大量解雇しました。土地を持たず収入も失った人々は飢餓に直面し、ついに1985年9月、国連児童基金・ユニセフが「14万人もの子どもたちの生命が危ない」と緊急事態を宣言しました。同年11月にフィリピンの民衆組織から緊急支援の要請を受け、翌年2月に日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)が設立されました。
  岡山でもこの活動に賛同する人々が集まり、86年、ネグロスキャンペーン岡山(JCNC岡山)が発足しました。
  以来、JCNCは「顔の見える国際協力」をモットーに飢餓救援と食料の確保、国内難民への緊急支援・再定住支援、土地の獲得と農業生産への支援、循環農業による地域づくりへの支援などに次々と取り組んできました。そして、現在は農地改革による土地獲得への支援を継続するとともに、家族単位の多様化農業への営みを支援しています。
  また、大農園制で栽培される砂糖きびから作られる砂糖ではない、伝統的製法で作られた「マスコバド糖」と呼ばれる黒砂糖を、適正な価格で日本に輸入する「民衆交易」(オルタナティブトレード=もうひとつの貿易)を開始しました。現在では、プランテーションで栽培されたバナナとは違う、無農薬で育てたバランゴンという品種のバナナも輸入しています。

  現地の人たちと交流を深めるスタディツアーを毎年行っており、2004年に岡山から4人が参加したツアーは、いってみればバナナ・ワールド体験ツアーでした。日本の私たちがバナナと聞くと、スーパーマーケットで売っている、あの一房のバナナしか思い浮かべることができないかもしれませんが、バナナ・ワールドはもっと奥深いものなのです。バナナにまつわる人類創生のお話もあるくらい、フィリピンの文化になくてはならないバナナ。一房のバナナからフィリピンの人たちの暮らしが広がって見えてきます。
  身近でおいしい素材である「バナナ」を通して、もっと日本の人たちに、ネグロスで暮らす人たちのこと、バナナを作っている人たちの思いを知ってほしい、そのために企画されたツアーでした。少しですが、その様子を紹介します。


 
  これはバナナ畑で、虫や傷からバナナを守るための袋がけをしているところです。日本では当たり前の作業と思われるかもしれませんが、粗放的に近かった今までのバナナ栽培や砂糖きび生産から比べると手間がかかり、その上に有機栽培なので、誰でもができる仕事ではないそうです。

 
  これはバナナハート(つぼみのような花の集合体。バナナの子どもが詰まっています。)を切り落とす作業に挑戦しているところです。バナナに傷をつけてはいけないので、切る時はドキドキでした。バナナハートを触った手はバナナの樹液でネチョネチョしました。

 
  これはバナナのパッキングセンターで、収穫したバナナに付いているくもの巣、ごみなどを、水槽に溜めた水で洗い流す作業を手伝っているところです。バナナの実と実の間に挟まったごみは、バナナを「ガッ」と広げないと取れないので、バナナが千切れるのではないかと、びくびくしながらの作業でした。腰を屈めての作業なので、少しの時間でも腰が痛くなり、作業している人の苦労が実感されました。

 
  これはバナナを使った料理を作っているところで、今作っているのは「バナナ・バーガー」です。バナナハートをスライスし、玉ねぎ、にんにくのみじん切り、コーンスターチ、卵を混ぜ合わせ、ハンバーグのような形にして、油で揚げます。バナナケチャップ(ケチャップもバナナから作ります。)をつけていただけば、ビールのおつまみに最高です。

 
  これは村の人たちとワークショップをしているところです。ネグロスと日本のグループに分かれ、バナナと聞いて連想することを発表してもらいました。ネグロス側からは生産者から見た意見が多く、日本側からは消費者からの意見が多く、内容が分かれました。また、バナナの種類を出し合ってもらうと、日本側は種類というより「ドール」などのブランド名を挙げ、種類も少なかったのですが、ネグロス側はなんと28種類ものバナナを知っていました。日本のバナナ製品・食品も試食してもらいましたが、おいしいバナナのあるネグロスでは好評ではありませんでした。
  写真は、日本のお店で売られているバナナの様子や、陳列の仕方を写真で紹介しているところですが、日本での様子を知らない村人たちは、とても興味深そうに写真を見ていました。


国際貢献ボランティア活動入門講座
岡山県企画振興部国際課